2011年4月30日土曜日

死への道を進む父を見る、僕の悲しみという感情

昨日から父の反応がなく、病院からその旨電話があった。

今日、病院へ直接行ったら、主治医と話しをすることができた。
父の容態はひとまず安定。ただし、今後急変することがある。連絡しても間に合わないかもしれない。
症状は肺炎。直接の原因はわからないが、誤嚥・痰・副鼻腔炎による膿等が入ったかと思われる。今後、肺炎は進行すると思われる。

帰り際に、父のベッドの横に屈んで、顔を覗き込んだ。
人の眠り顔を見るときは、いつも安らぎの感情を持つ。でも、これから死へ向かっていくという寂しい、悲しい感情が入り交じってしまう。
立ち上がって、部屋を出た。
廊下を歩き、階段を下りるとき、握り拳を作ってしまう。ちょっと涙がにじんだ。人前だから泣けない。
そのまま、病院を後にした。

もう、僕にできるのは、父が天国に行くのを見届けるしかないと思っている。それを考えると、ただ悲しい。人と別れる悲しさだ。

以前、病院に着替えを持って行ったとき、夜遅くですぐに出ないといけなかったのだが、その時父はナースコールのボタンの付いたケーブルをいじり回していた。僕は、その横で着替えを棚に入れていたが、父は気付いていなかった。
もう、父が遠くに行ってしまっている感じがした。
その情景は、上げ橋の上がった、川岸向こうを旅立つ後ろ姿を見ているようで寂しかった。

父は、気の強い母と対立し、時々暴力を振るってた。
僕は、その父を必死で止めたこともあった。キレて暴れ回って電気ストーブをへこませたこともあった。父が自殺しようとしたこともあった。理不尽だと思ったことは数多い。
僕の中の反発は大きい。でも、振り返ってみれば、立派に僕の父親してたんだな。
いい思い出だって、たくさんある。一緒に釣りに行ったこと、バイクの後ろに乗ってドライブに行ったこと…

昼、家で父がいつもいた場所を見た。
もう、そこに父が帰って来られないと思うと、つい涙がにじんでしまう。

僕は弱いな。

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