2010年11月6日土曜日

創作物と性表現と規制について

創作物と恋愛における性と規制についてです。
表現規制を推進する人で、実際に架空の登場人物で思春期の少年少女を主人公にした物語を描いたことがあるだろうか。描く人の立場に立ったことがあるのだろうか。

私は中高生の頃から、思春期の主人公を題材として小説を書いてきた。なんだかんだで10年くらいかけて、途中飛ばした部分がありながらも完成させた。文庫本にすると、だいたい250ページくらいかな?
痛感したのは、具体的な性表現がないととても薄っぺらい内容になるということだ。次の作品では性表現をもっと深く切り込んだ内容の作品を作ろうとしている。
そこで、私は現在の性教育の不備を感じた。性の本来のあり方とはどうあるべきかを調べた。その中で「ポンコツ家族の取扱いマニュアル」を見付け、大いに感銘を受けた。

ポンコツ家族の取扱いマニュアル
http://ponkotsukazoku.blog45.fc2.com/


小学生や中学生などの子供が性欲がないと言う人がいれば、現実を全然見ていない証拠だ。少なくとも私は小学校高学年にはエッチな本をコソコソ見ていた。思春期以降の子供が性欲を持つことは自然なこと。
女性が人の温もりを求めて、その結果彼氏の体を求めるケースはないだろうか。少なくとも自分はそのケースを知っている。(毎日とか)頻繁に体を重ねるケースだってある。
実際と同じように架空の作品の中で主人公・ヒロインの関係を徐々に進展させれば、それだけ分量はいるだろう。
加えて、心の動きを絡めていくと、分量はどうしても多くなると思う。体を求めるだけでなく、相手の温もりや表情、自分の心の動きを詳しく書くとたくさんページが必要になる。
このようなエッチなシーンに分量を裂いたものを、青少年に一概に見せるべきではないと言えるだろうか。私はそうは思えない。むしろ、エッチなシーンで相手を思いやる心情を描いた作品は、思春期を迎えた子供に必要だと思う。
性教育の教科書において、セックスで相手の心情を深く考えるなどのシミュレーションをするのは難しいのではないだろうか。むしろ、創作物、特にマンガで表現した方が、子供達は理解しやすい。そのような作品が出ることを期待している。
私はマンガを描く絵心がないので、できたら小説として書きたいと思っている。

昔の人はセックスが苦痛だったと言う。これは、男性が女性に対してセックス時に思いやることを知らなかったせいではないだろうか。セックス時に男性が相手を思いやることを知らなければ、女性にとってセックスが苦痛になり得る。それは女性にとって不幸に思う。
逆に、男性側が女性の体をいたわってセックスできるのであれば、それは女性にとって幸せではないだろうか。セックスする相手をいたわることを知る機会が創作物にあれば、逆に知るべきである。マンガであれば、子供達はすんなり受け入れるだろう。

そのことを考えれば、性描写のある非実在青少年を規制するなど論外であると考える。性的な面における男女平等を考えれば、性描写のあるマンガを規制するのは、セックス面において女性に苦痛を与える人を増やしかねない。
もちろん、性教育等で創作物はファンタジーであることを教える必要はある。
しかし、性をタブー視する世間の空気のせいで、子供に何も教えなければ、潔癖主義で性を教えない国(州)などで望まない妊娠が多数出るようなケースが発生しかねない。そんなことはあってはならない。
だから、私は性について子供達はもっと知るべきだと考える。性教育はもちろんだし、創作物(マンガを含む)を通じても、性の正しいあり方をもっと知るべきだと考える。そして、子供達は自分を守り、自立できるようにすべきと考えている。

ちなみに、芸術性・ストーリー性云々で規制すべきでないというのは何回もつぶやいた。
芸術性は、時代・文化等で評価は分かれる。物語を作り始めた人なら誰だってストーリー性は低い。だから芸術性・ストーリー性で規制すべきなんてあまりに無意味。何もわかっていない。
私は、創作物で必要だと考えているものは、エンターテイメント性であり、読む人をどれだけ楽しませるかだと考えている。そういった、人々を楽しませる作品こそ、クリエイティブだと考える。
一部の人でもいい。読んでいる人をワクワクさせるような作品を出すことが、表現者としてもっとも大切なことだ。それは、時として自分さえもワクワクさせられれば、それが一番だ。私はそう考える。
読むだけで、作る立場のことを知らない人は、このようなことがわからないのだろうか。表現規制を推進する人は、一度作品作りをする人のことを考えた方がいいのではないだろうか。

グダグダな内容、失礼しました。

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