2011年5月4日水曜日

現在のマンガの立ち位置、そして、これから

まず、マンガは誰が読むのか。
答えは「誰もが読む」だろう。

マンガに対して「子どもが読む」という認識があるかもしれない。それなら、「児童書」や「少年誌」となるだろう。
しかし実際は、「青年誌」「成年コミック」「グラビア雑誌に連載」など、あらゆる年齢層がターゲットだ。
故長谷川町子氏の「サザエさん」「いじわるばあさん」などは、年配の方にも愛されている。
つまり、「大人『も』読む、子ども『も』読む」が正しい。
もう、「マンガ」というジャンルにおいて、年齢に関係はなく、子ども向けなどではない。

アニメはどうか。
アニメもそうだ。ジブリ作品など、大人でも映画に行くし、深夜アニメの劇場版等のアニメだって、高齢層を除けば、行く人がいる。
ゲームもそうだ。成年向け作品があるし、サスペンスものやサウンドノベルなど、大人が楽しめる作品は多い。

つまり、サブカルチャーに該当する「マンガ」「アニメ」「ゲーム」は、「子ども向けの娯楽」ではない。年齢に関係なく楽しむものとなっている。


では、サブカルチャーである「マンガ」「アニメ」「ゲーム」は、小説・歌劇などより劣る存在なのか。
私の考えでは、既に劣る存在ではない
故手塚治虫作品で、マンガは既に大人向けとして耐えうる深い作品を提供している。
そして、青年誌というジャンルは存在し、しかも社会人向けの作品など、当たり前に存在する。
アニメも、ジブリ作品で小説に比較しうるものを見ることが出来た。おそらく、私が見ていないもので良質なものがあるだろう。
ゲームも、劣っているとは言い難くなっている。私が知る限り、「Key」の作品などできちんとしたテーマを持ち、考えさせられ、感動できる作品を見た。私も、ゲームをしていて涙を流した一人だ。「信じられない」と思うなら「AIR」「CLANNAD」「リトルバスターズ」を私は推奨する。他にもみなさんの中で良質な作品はあるだろう。
「ゲームで涙を流すなんて気持ち悪い」と思う人は、実際にプレイしてみてほしい。プレイすること自体が気持ち悪いと思うのであれば、単なる食わず嫌いのクレーマーだ。
考えさせられる深い作品、感動させる作品は、既にマンガ・アニメ・ゲームに存在しているのだ。

でも、上記のことは、もう語り尽くされていて、当たり前すぎることだと思うが。


ビジネスの関係もあり、ストーリー性は多少落としても、マンガ・アニメにおいて、メディアミックス・グッズ戦略で儲けようという動きはある。これは当然のことかもしれない。
しかし、同時にマンガ・アニメ・ゲームのストーリー性は、小説のレベルに近付いている。
「マンガ・アニメ・ゲームはサブカルチャーであってほしい」
こんな声もあるかもしれない。別にサブカルチャーであってかまわない。

ただ、マンガ・アニメ・ゲームの世界で、小説の「芥川賞・直木賞」に相当する、最高の『名誉』を作品に与えられるようにできないか。
サブカルチャーの立ち位置を、さらに高めるためには、『ブランド』が必要だと思う。