2010年12月15日水曜日

東京都青少年の健全な育成に関する条例可決について

東京都青少年の健全な育成に関する条例について、2010年12月15日に、東京都議会本会議において正式に可決されました。
このことについて、私はとても残念に思っています。

(この記事は、後日書かせていただいております。ご了承ください)


過去の創作物規制の歴史、および、海外での表現規制などから、表現の自由を担保することは、非常に重要だということは当然です。これについては多くは語りません。

本条例は、大人が「子どもを守る」という名目で、取り締まる側が思う道徳・倫理観で子ども達に都合が悪いと思う創作物(特に、マンガ・アニメ・ゲーム)を規制するものであり、真に子どものための条例となっていません。
本当に子どもの健全な育成に必要な条例であれば、特に思春期における心理的変化など、子どもの身体的成長に合わせて、いかに映像・出版業界など創作活動を行うと連携をとり、立案・施行などで連携をとるのが本筋です。
それを取り締まる側の一方的な押しつけは、子どものためにはなりません。

規制を推進する人にとっては「性情報などを遠ざけられるから、より安心できる」と思うでしょう。しかし、この条例で「子どもが将来に向けて、自立できるよう健全に育てる」という理念からは遠ざかるでしょう。
よく考えてください。子どもから性情報を遠ざけるだけで、子どもが安全になる訳がありません。
今の子ども達の危機的な状況は何か冷静に考えてください。
まず、知らない人からの子ども達への危険は、参考となる統計からはとても少なくなっています。
むしろ、多いのは子どもの周囲からの虐待事件です。性についてもそうです。必ずしも虐待ではないですが、家庭内の問題から家出して、援助交際でお金を得て転々するなどです。あるいは、家族・親戚などからの性的虐待です。身内からの虐待がとても多く、一刻の猶予もない状況です。それに目隠しして、その上に「性情報を隠したから安心」とさらに目隠ししたら、目隠しによる安心のせいで、子どもの被害をさらに増やし、子どもの安全を脅かします。
いま、切実に求められているのは、子どもの安全を守る、「子ども達の逃げ場」「子どもへの適切な接し方を親にアドバイスする人」など、児童保護と育児支援です。児童性虐待成果物以外の創作物規制などしても、(自分の周囲以外に海外の子どもを含めて)子どもの安全は守られません。

私たちは、子ども達をどのように育てるのが最も理想的なのでしょうか。
「性情報は悪影響があるからなくすべき」というのが正しいのでしょうか。性に悩む思春期の青少年に性情報を与えないことが正しい事なのでしょうか。隠して、大人になるまで知らなくていいというのが正しい答えなのでしょうか。
私はそうは思いません。隠して、悩みが膨らみ、心を病まないか心配です。

私は、子ども達の精神的な成長とともに、子ども達にとってその時に必要な情報を提供する義務が社会にあると考えます。情報を提供する仕組みは、法律・条例とは別次元の話になると思いますが。
現在の、一律に「18歳未満禁止」みたいな精神的・肉体的にあまり意味を持たない年齢定義をして、触れるべき図書類に触れる事を禁止し、ましてや子ども達に法律・条例に違反してもいいというような、子どもに法律・条例違反してもいいというようなハードル論みたいなことを大人が平気で言うような制度に反対します。
ハードル論の「ハードル」は条例・法律の明文化されるものではなく、罰則のない「暗黙のルール」の中に作るべきものであって、罰則のある「条例・法律」のハードルを越えたら、それは逮捕されるべきものです。人を殺傷してはいけないというハードルを越えたら、逮捕されるべきであるものと同レベルのものを、性表現に求めようとしているのです。

創作物において本来必要なことは、子どもの精神的・身体的に必要な知識を、適切な時に提供することです。
そして、20歳という保護者から独立し、自立した成人に向けて、子どもが自立していけるよう、社会のことはもちろん、比較的多くのみなさんが忌避し、しかし当事者の思春期を迎えた青少年が求める性情報も含めて、必要な情報を子ども自身が得られることを求めます。

私は、乳幼児向け・小学校進学・思春期の到来・高校進学といった段階を分け、図書類が年齢に応じて子ども達へ適切に情報を提供し、子どもが成人し自立していくための手助けになってくれることを願っています。